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About Me

1995年7月2日。埼玉県に生まれ、「悠々と希望を持って育て」と願いを込められ「悠希」と名を受け生まれた吉尾悠希。

幼い頃より​暇があってはピアノを弾いている、天然パーマの音楽少年だった。子供の頃は天然パーマは、友達からイジられるのでちょっと嫌だった。あと安易にピアノマンとか呼ばれる(多分あるある)。当時の音楽の先生に呼ばれていたあだ名は、ピアノ椅子にかなり浅く座って演奏することから「半ケツのピアニスト」。今そんな呼び方したら懲戒免職ものだろう。(別に気にしないからええんやけど)

 中学校に上がり、吹奏楽部でサクソフォンに出会い、その魅力にのめりこんでいった。吉尾少年の青春の全ては音楽とゲーム、そしてピザポテトに捧げられた。サクソフォンも続けていたら楽器が欲しくなってしまい、両親にメチャクチャ駄々をこねた結果、「期末テストで上位20%まで入れたら買ってやる」と言われ、吉尾少年は奮起。当時思い切り平均くらいの学力だった吉尾少年だが、楽器のためと思い頑張った結果達成してしまった。その流れのまま音楽の道へ進むことに…。吹奏楽の世界では音楽の魅力と人付き合いの難しさに悩んだこともあり、独奏や室内楽の演奏に大きな興味を持った。

 埼玉県立大宮光陵高等学校音楽科では現在もともに演奏活動を広げる仲間に出会い、自らが音楽を学ぶ意味と目的を問う高校生活を過ごした。高校には管弦楽部があったが、サクソフォンを取り扱う楽曲を演奏することはあまりなかったので、ヴィオラをよく弾いていた。弾き真似とボウイングの見た目だけは最高に鍛えられたが、ヴィオラの音色と演奏そのものはメチャクチャ難しかった。

 

 武蔵野音楽大学ヴィルトゥオーソ学科では演奏者としての技術と人格の研鑽、そして「音楽を研究することとは何か」を改めて学び、音楽家として一人立ちするための準備に全てを注いだ。

​「ヴィルトゥオーソ学科」という、下手すればウサンクサイネーミングの学科ではあるが、この生活は大変だった。毎回ハーフリサイタルのようなプログラムで試験に臨まねばならず、寝不足に苛まれながら練習に取り組んでいたし、レッスンは毎回決闘に行くような気持ちだった。色々な想いの人がいる場所だったので、あまり友達は出来なかったが、多くの悟りを得た学生生活だった。

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大学卒業後、フリーランスのサクソフォン演奏者/育成者としてそのキャリアを一つずつ確実に重ね、現在に至る。

​相も変わらず天然パーマだが、大人になってこれを肯定出来るようになったことは自分の成長だ。

演奏可能なレパートリーはクラシック音楽のみに限定しても400曲を超え、サクソフォンの可能性を最大限に活かす現代音楽の演奏はもちろん、バロック音楽のレパートリーでは新たな即興の可能性を研究している。その音楽は独奏的でありながら一貫された、説得力ある音楽性と唯一無二の音色を特徴としている。

独自に行う公演では独創性あふれるテーマの演奏会を数多く主催し、多くの聴衆に音楽を発信している。東京サクソフォーンオーケストラの奏者としても活動しており、幼少期より嗜んできたブログ執筆の経験が活きてプログラムノートを毎回書かせてもらっている。(とはいえ毎回改めてお願いされているのでいつクビにされるかはわからない)。2021年、特定非営利活動法人Neuの代表理事として、多くの音楽家が活躍するための土壌作りも行った。(現在私は理事を降りているが、このNPO法人はARTs Concoleとして現在も活動している)

 

21年2月にはナゴヤサクソフォーンコンクールU25若手演奏家部門にて、吉尾史上初めて1位を獲得。21年8月14日には自身初のリサイタル「クラシックとジャズのはざまで」をさいたま市芸術劇場音楽ホールにて開催。2022年よりYMDミュージックにおいて出版楽譜を広く紹介するための演奏活動を行い、多くの演奏がYMDミュージックのYouTubeチャンネルよりアップされている。

コロナ禍以降メチャクチャ写真が楽しくなってしまった。

Sony α7IVを愛機とし、暇さえあればシャッターチャンスを狙っているが、あんまり人に話しかけるのが得意ではないため、結局人じゃ無いものばかり撮っている気がする。

​演奏会の演奏の様子の撮影とか、動画記録、編集等のスキルも勉強中。座右の銘はクリエイティブ。好きなキャラクターはうさまる。

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