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ほんとうの、の重さ


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文章を書くにしても言葉を使って話すにしても、強調の表現というものは頻繁に使う世の中になっているんじゃないかな、と思う。

究極、世の人々の言葉の使い方は、人それぞれ好きなように使ってもらえたらいいんじゃないかなと思っているのだが、自分自身を顧みた時に、ほんとうに大切な言葉は、別に語感を強めなくとも、文字を大きく、太くしなくとも、かきがっこを付けなくとも、草を大量に生やさなくとも伝わるような言葉遣いで生きていきたいな、と思った。


フリーランスの人間として5年目を迎えたこんにちに、私の頭の中は音楽のことよりも人生のことを考える時間が少し増えたように思う。

それは音楽家としての弱気な部分であるようにも感じるし、あるいはクオータークライシスのような言葉に代表される、普遍的な人間の悩みであるようにも思っている。

それがどちらであるかなど、どうでも良いのだけれど。

 
 
 

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