今日は指導先の学校にお招きいただき、「上級生を送る会」演奏会を聴いてきた。
いわゆる引退式で、すでに私は数年レッスンでお手伝いしている。
私にとって、この学校はコロナ禍で部員数が大幅に減少し、さまざまな本番の機会が無くなり、練習や目的に対するモチベーションで悩むことが多かったのではないかな、と自分で思うことがあった。そういった意味で技術以外の部分をも含めて何か力になれることはないか、常々考えていた学校だったように思う。
ところで、ごく当たり前の話だが、演奏というものは聴衆がいなければ成立しない。
しかしこの1回の演奏に向けて準備をするという行為そのものが、本来的にはどこまでも尊い事なのだ、ということを改めて感じた演奏だった。
1,2年生が3年生への感謝の気持ちを込めてサプライズを準備するとか、
部員全員で練習していることも、話し合うことも、演奏会の場所を準備することも、撤収のために片付けることも、もちろん人によって少しモチベーションの方向は違うのかもしれないが、でもそれでも一つの形を協力して作ろうとする姿勢そのものが凄いことだな、と思うのだ。
改めて私は、いち音楽家として生徒たちに何を残すべきなのか深く考えるきっかけとなった。し、自分が持っているものと足りていないものを改めて感じた出来事となった。
おつかれさま。
この時期はこの学校に限らず、部活で関わる大抵の学校の最上級生とは別れを告げる時期になる。今まで当たり前に会っていた生徒たちに会えなくなる事を思うと少し寂しい気持ちもするが、一人の大人としては、別に私のことを覚えている必要は無いけれど、でも伝えた言葉の一つ一つの中から、自身が幸せになれるための選択をするための指針を見つけてくれていたら、私としてはこの上ない救いだと思う。
音楽という学問は自身の価値観の強い投影である。
それゆえに上達や変化を願えば、大きなストレスもかかるし、本当に途方もない努力が必要だということ、自分自身だけに向き合う世界の冷たさや厳しさの片鱗を知ってもらえただろうか。
20代が終わろうとする私ですら、「できる」と言えることなど、ほぼ、ないに等しいのだ。それくらいこの世界は広く、厳しい。
実力だけで測る世界だと考えるのであれば、我々のほぼ全員の存在意義は無いに等しい。
でも。音楽という学問を通して学ぶ「価値観」というものは、決して他と比較せず、自分自身がよりよく生きるために出来ることは何か、人間として真っ当なバランスを保ちながら生きていくための大きな指標になると私は確信している。
大抵の勉強やスポーツは、特に子供の頃は数値化されて周りと比較することも多いだろう。
だから目に見えて起きていることの方が大事だったり、気になっていたりもすると思う。
それも大事だ。大事だが。
自分自身に「これで大丈夫だ」と言えるならそのまま自分に自信を持って生きていていい。
「これじゃダメだ」と思うのならば、自分に絶望しないように、自分のことを大切にしながら変わる挑戦をし続ければいい。
貧しくなっていく一方のこの国の中で、真に幸せな人生を生きる指標は、目に見えないところに見出すことの方がよほど手っ取り早い。
幸せになれ、すべての生徒たち。
私も、尊敬され続けるプレイヤーでいられるように、真に信頼されるプレイヤーで居続けるために、自分のなりたい自分へと挑戦し続けたいと思う。
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