楽興の瞬間#4が終演した。
私はラフマニノフのチェロソナタを演奏した。
なんとモーリスのプロヴァンスの風景とバーンズのアリオーソとプレストもピアノで弾いた。ピアノは久々の機会だったけれどもっと普段からたくさん弾いていれば余裕を持ってもっと弾けたんじゃないかなと思った…普段からの練習の大切さを思い知らされる…。
ラフマニノフ。長大な反省文。
バリトンサクソフォンとしては2曲目のソロ曲だが、いささか規模が大き過ぎたなと思った。アルトやソプラノでこの規模の楽曲を吹くことにそれほどの気込みや抵抗はなくなっていたが、バリトンで全く同じテンションで挑むわけにはいかなかったな…と、割とそのへんところで見誤りをしていたなと思う。
楽曲の規模の大きさゆえに部分的な練習に終始し、通しでのシュミレーションが少なかったこと等も含め、帰りながら普段より多く反省してしまいなんだかげんなりしながらブログを書いている。。
なんだかこれから自分の演奏に「よかった!」とか「頑張った」とか認めてあげられる瞬間ってくるのだろうか…。本気でそんな希望が無くなってきたようにも思う、、いや、さすがに考え過ぎか。。うーん。笑
でも、全ての言い訳(楽器選び、調整、セッティング、準備期間、選曲、リード、練習、合わせ時間、経験、まだある)を消し去り、その上で自らの逃げ場が何もない状態で準備できていなかったということなのだと思う。
そういう意味でまだ自分は演奏者としての未熟な面が多分に出ているのだろうと思う。たまたま巡り合わせでなんとかここまでさまざまな場所で演奏させていただいているが、いいかげん自分の中で目覚め直さないといけない部分が何なのか、もう一度よく考え直して取り組んでいくべきだと思った。
まあ深夜に考え事するとろくなことないので、これくらいにして、明日また冷静に振り返ってみようと思う。プロの演奏者としてのキーワードはやっぱり「本番1ヶ月前には準備万端の状態」なんじゃないかなと思う。
そういうレパートリーを選ぶ、ということも大事。そういう規模の曲を選ぶ。
吹きやすいセッティングを選ぶ。いい音が出る仕掛けを探す。
自らのキャパシティを超えないように考えていく。
というか。
なんか自分の中で誤解していた部分があるので自分のためだけにこの言葉を残そう。
失敗してもいい本番なんてひとつもない。
挑戦という言葉に甘えて失敗のぬるま湯に浸かるのは良くないよね。
はい。自分の話は終わり。
今回はとても規模の大きい曲が並び、聴いている側としても非常に充実した会だった。
みな忙しい中でその人なりに仕上げてくることは本当に素晴らしいことだと思うし、自分も人々のその真摯な姿勢をみて背筋を伸ばし直している。
こうして考えると、本当に芸術家としてやっていっている人…まあ自分もその仲間に入っていればいいのだけれども、本当にえげつないなと思う。なんだか自分の思い描いていた芸術家の姿とちょっと今の姿は違うなと思う、あっ自分の話になってしまった。
まあでも確かに、なんかこうして考え直しているときに「必ず失敗せずに完遂できるのか」という考え方って自分の中には薄かったなと何度思い返しても感じる。今年やっと得た一つの学びかもしれない。
ほんとに書くのやめよう。文を書くのが止まらなくなってきた。笑
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