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様式の呪い

今日は音楽的な予定は特になく、自分の練習や作業関連をゆっくりと行った。

絵の練習も今日で5日目を迎え、その中で自らが最近志向しているもの、そして立ち止まるポイントに関して気づきを得た気がするので、自分のためにこの記事に書き記しておきたいと思う。


クラシック音楽を演奏するということに関して、私が最も重視する点は「様式感」という部分である。この様式感の達成のために、現代における演奏の耳慣れの部分から離れることもいとわず演奏していることが比較的多いのではないだろうか、と自分で考えているわけだが:

自らの表現への積極性を失っているから様式という言葉に自分の意思を隠しているのでは無いか、という風に思うようになった。

練習をしていても何を求めて練習しているのか、自分でよく分からなくなってしまうし、

絵を描いていても、いくら本の中で「絵を描くことは楽しいことで、そして自由に創造的に」という指示のもと自分で画を描いていこうにも、あくまでレッスンで取り扱う内容から逸脱しない表現にとどまることを潔しとする姿勢を自分で垣間見たのだ。

たとえば、球体を描くレッスンなら積極的にサッカーボールとか、鉛玉とか、そういうのを描いていけばいいのに、純粋に無機質な球体を描くことしかしないし、

今日のレッスンでは「宝箱を描く」という内容だったが、その宝箱のテクスチャや中身の部分すら描くことを思いつかない自分がいたのだ。作例を見て驚く始末。

ある種価値観の多様性と一言で片付けてしまえばそこまでのものではあるが、自分の中の創造性という部分とはあまりにもかけ離れているのではないか、と思ったわけだ。

さてそれならどうするのか、という部分に何か対策とかこれからの方針とかを思いついているわけでもないのだが、ひとまず志向としては音楽でもなんでも、ちゃんと「ルールに則るべき部分」と「自らの良しとするものを表現していくことへの積極性」の両立を図りたいと思う。あまりにも表現を生業とする人間として弱すぎるんじゃないかと思うわけだ。


まああんまり自分をへこませすぎてもしょうがない訳だが、絵を描くことで思いもよらず自分の頭の中を言語化し直す機会に恵まれているのは非常にいいことだと思う。唯一の救いまであるかもしれない。10代の頃や20代前半の頃に比べて明らかに自分の気持ちというものに変な折り合いをつけて自分の気持ちを見ないふりしている人生だと自覚はしているので、ちゃんとそのあたり変わっていくきっかけになるといいなと思う。

 
 
 

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