週末思いの外多くの予定が入り、若干忙しい日になった。
(昨日は睡眠負債が災いし、全ての予定後何も出来ずに布団で泥のように眠った)
場合によっては人前での演奏の機会以上に人に教えることが増えてきた。
そもそも大前提として自分のような人間が人に何かを教えること自体がおこがましいことこの上ないが、それでも何か解決を求めて私に声をかけてもらえることというのは非常に嬉しいし、ありがたいことだし、その声の一つ一つが私に音楽活動を続けさせてくれている大きな理由にもなっていると思う。
それと同時に、常々人に何かを教えるということが、どれだけ重大な意味合いを持っているのか考える。音楽という不定形の学問を学んでいると、どこか性格と演奏が似通っているような部分を錯覚することがあり、たまにそういうことを言いたくなってしまう自分がいるのだ。
もちろん性格と音楽的な嗜好というものがある程度同じ方向性を見せることは予想がつくのだが、では音楽の改善のための案として人の性格に・あるいは行動に言及することは良しとされるのか?と最近考えている。自分の中の考え方こそまとめて人に話す努力はしつつも、そのアプローチに関しては完全に試行錯誤中だ。めちゃくちゃ平たく言えば少し棘が増えた。
その「棘」を見せた時に少し空気自体が本当に変わる感じがして、これが伝わったのか脅迫なのか、その判断が自分につけることが出来ない。若い頃人と対して関わらなかった事による弊害としか言いようがない。
私は人との関わりを通じて、そして自分の頭とよく語り合い、どのような人間になりたいのか、レッスンという音楽活動の一部分で自らが目指す像は何なのか改めてよく考えなければならない。
そして、この話のひとまずの答えはものすごく単純で、ちゃんと相手の話を普段から聞くということだと思う。相手の本心の希望の部分をしっかり掬った上で、自らの最善の行動を取れる大人になっていきたいものだと思う。
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