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執筆者の写真Yuki Yoshio

針ヶ谷公民館にて演奏

しらこばと音楽団として演奏に参加してきた。

この催しは特定非営利活動法人Arts&Healthさまの主催により開催されたコンサートで、90分18曲もの楽曲をサクソフォンカルテットで演奏した。


プロを名乗る人間が調子などという概念を持ち出しては終わりでは…とか思ったりもするが、それでも今日は調子がめちゃくちゃ良かった。頭もすごく冴えていたから集中も高く、音もよく飛ぶ、音楽もどんどん出てくる、とんでもなく良い状態だった。

しかし演奏以外の部分では全てが快調…という訳では無かったし、本当に原因が分からない。

なぜか調子が良かった。


演奏家としての命題のひとつに「再現性を極限まで高める」ということがあると思う。

間違えないようにする、とか、いつでも最高の状態で演奏する、とかがこれに当たると思う。

そもそも練習の段階で再現性の問題はクリアしてから本番に臨む、というのがそもそも前提なのだが、しかしこれで音楽性は迸ることはない、とも思ってしまう。

これは私の思考の中でもコアな部分に触れるかもしれないが、日頃の練習から生まれる音楽性などたかがしれていると思う。日頃の練習で鍛えるべきは純粋な楽器の技術であり、その技術を我慢強く再現出来る精神を養うに目的がある。

しかしこれに矛盾するところで、その積み重ねを完全に無視して生まれる(いや、、本当は完全な無視ではない、様々な経験の点が線として繋がる瞬間があり、それが全く新しいアプローチとなる、のかも)運命的で、しかし偶発的な音楽表現が出現することがある。本番演奏中に。

まあそんな急激な電気ショックのようなプレイングはアンサンブルをする仲間に確実に迷惑をかけるかもしれないし、そんなものに頼っていては仕事としてはやっていけないよね、とは思いつつ。まあでもそういう偶発的で運命的な音楽表現が出てきても、日常の練習や勉強、研鑽の方向性が正しければ人が困るようなプレイングはさすがにしないよな、と信じたい…。


すごくグチャりどした文章になってしまった。

去年、おととしと演奏以外のお仕事もたくさん頂き、それに時間を沢山かけていたゆえに演奏家としての自分の感覚を大切に出来なかったという自覚があった。

今年は演奏家として改めて声を上げ続けて行けるように頑張りたい、と思っていた矢先だったので、そういう意味では良い感触を持つことのできた本番だったと思う。


演奏家など本当にうさんくさい職業のひとつだと思う。演奏を聴けば心が晴れやかになりますよ~~~だからお金ください、ってお仕事ですからね。

だからこそ胡散臭くない活動と積み重ね、ちゃんとしていかないとな、と改めて思うし、本心から私の演奏する音楽に触れてもらえれば、音楽の面白さと魅力を感じて貰えると思う、と自信を持って言えるように日々の練習から改めて気合いを入れ直したいと思う。


明日からも誰かの役に立てますように、あと自分のなりたい自分にちゃんとなれますように。

おわり。

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