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かけがえ

いちおう!ボカしてますけど誰も悪いことしてないですよ。笑

ワイの顔だけちゃんと分かるよね、こういうのモザイク貫通って言うんだろうな。。


今日はとある式典演奏に向けての合わせ。2曲ほどアレンジのお仕事もいただき、その初音出しの時間でもあった。

今回は高校の同期たちとの演奏で、2人ともなんだかんだ久しぶりの再会だった。あんまりそんな感じしなかったのは高校同期だったからなのだろうけれど。。でも1年半ぶりと3年ぶりですよ、多分。


こんなブログ、基本的には誰も読まないだろうと思って書いているので恥ずかしげもなく書いてしまうけれど、今日の合わせの録音を改めて聴き直して、これって本当に奇跡のようなことなんじゃないかなと、少し胸が詰まってしまった。高校の当時からその志を共に持ち、そして出身とする音楽大学を違えようと、それぞれの理想に向けて自己実現のために研鑽を続ける仲間がまだ、会おうと思えばこれほど近くにいるということ、大人と呼ばれる歳になったからこそ分かる、これはまさしく奇跡なんじゃないかな、と思う。


音楽家なんていう職業は基本的に生活は美味しくない。全く美味しくないと思う。

でも、少なくとも自分の身の回りで起きていることって奇跡のようなことばっかりじゃないかな、と思うのだ。

こんな気持ちを大人になっても、きっとこれからも持ち続けることが出来る職業って音楽家だけなんじゃないか。違うのかな、もしそういう体験が出来る仕事があるんだったら教えて欲しい。違う仕事をしていたとしてもこんな気持ちを持ち続けて仕事することが、あるいは活動をすることができるのだろうか。


初めて同じクラスになった友達と向かった図書室で、ラヴェルやドビュッシーが好きだという話が初めて共感されたこと。良い演奏のために音楽的な解釈の違いをぶつけて喧嘩までしたこと、出来ないことが悔しくて涙した日。

未熟ゆえに傷つけてしまった人もたくさんいる、高校でしか出来なかったことも数知れない。

美しさと汚れに満ちた、あらゆる私の青春は音楽に詰まっている。これほどに私のことを傷つけた音楽が、今の私を作り出しているのだ。

そういう自分の本気と情熱を思い出させてくれる場所が、この仲間との時間なんだと確信してしまった気がする。

辞めたくない。音楽を辞めたくない。


これは青春への執着なのだろうか。いや、そうではないと信じたい。

いつでも近くにいられなくとも、共に切磋琢磨できる仲間がいるんだと、辛くてもそれを忘れずに生きていたい。


もっと多くの人に音楽を届けなければならない。

文字に書いたらそんなのありきたりかも知れないけれども、人の心にそっと寄り添える音楽を作り続けたい。

こんなミッション、下手したら誰の役にも立たずに死んでいくことにもなるかもしれない。

でも、自分は自分で音楽を辞めることは出来ないと思う。

ただの1日だったかもしれないけれど、自分の中では大きな1日になった気がする。

動かなきゃ!まだまだ出来ることはたくさんあるはずだ。

 
 
 

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