正直に言うと学生の時よりも近年、色々な音楽を聴く…特にクラシック周りの音楽を聴くのは職業柄苦痛を感じることすらあったので無理に聴かない…というスタンスでゆっくりと色々聴いていたが、最近少しこの傾向が変わってきた。今年入ってからかなり多くの楽曲に触れている。
理由はおそらくかなり単純で、それこそ音楽の演奏に触れること自体がSNSの自己承認欲求の部分と少なからず絡んでくるからのように思う。割と周りの友人にも多い現象だし、無理もないことだとは思う。センシティブな話題だ。
きっと年も変わり、学生の頃から持っていた音楽に対するスタンスと年齢・あるいは世の中の実情とのギャップに不釣り合いを感じていたような気もしている。
ある種自分は自分として、という立ち位置を探し直している途中なのだと思う、その中で少しずつ他人の音楽を聴くことに対する心理的な抵抗が減ってきた。
し、むしろ現代のジャンキーな娯楽で大量に放出されるドーパミンに慣れてしまっていた部分もあって、そうではなく純粋に音楽のみを聴くことで起こる、他の娯楽に比べて量は少ないが、しかしささやかに幸せをかみしめられる感覚を掴んだような気もする。
しかし考えてみれば、そのプロセスにバリトンサックスでの演奏というのもひとつ、あるような気がしている。
今のところさらっていて幸せな曲しかやっていないし、音楽的に正直な考察のみで向き合っている感覚が確かにあるのだ。サクソフォンのための曲をさらっていないために純粋に音楽ということについて何かを考えられる…というか。
まあでもサクソフォンのオリジナル作品だって音楽的な作品たくさんある。が。なんか風潮としてジャンキーな感じが地味に嫌がられているし演奏のトレンドもまだまだ理不尽だと思っている。ジャンクの部分は、私はサクソフォン奏者なので正直表現キャパシティが多いのでええやんと本気で思っているが、まあ確かにその音楽的な理解が追いつかない演奏が多いというのもそうだよな、などと。この問題はサクソフォンが皮肉にも表現力が高いことと、サクソフォンという楽器の新しさゆえの技術的な未成熟が原因なので、まあなんというか別問題と捉えるべきなんだとは思うが。でもやはり自分の演奏だって自らの思想を以てして構築しているのだからそれが理不尽な受け取られ方したらそりゃ納得しないよなと。何の話だろう。
まあこのように音楽で生きる(プロアマ問わず)全ての人間が音楽についてよく考えるとなると、先代や現代のトレンドへの尊敬と疑問を常に持ち、その迷いの中で自らの表現を探し…ということを常々行っている訳だ。そんな迷いなど聴いている人の99%くらいには全く伝わらないのだから不憫なものだな、とも思う。笑
また取り留めもないことを書いてしまった。
しかしこういう思考の中でも色んなものを切り離しながら考えられるようになっている傾向にある事に少し嬉しさを感じた。
さあ今日もレッスン。夜は吹奏楽。がんばろう。
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