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執筆者の写真Yuki Yoshio

大雨

大雨のひどい日だった。


久しぶりに楽器を外に出すことを躊躇した日だった。


写真は私のアルトのテーブルキーだが、この色の違いが私が楽器を演奏する時によく触っているところ、あるいはそれほど触っていないところ、というところになる…かもしれない。

最近練習している楽曲は左手小指を常にBb(写真一番した)においておく必要があり、下手すると腱鞘炎になりかねないので何かいい方法はないか少し考える必要があった。

てこの原理を思い出し、なるべくキーの外側に指を配置して…というのがひとまずのアイデアで、しかしこれは楽器の面をみればわかる通りすでに実践している工夫であったようだ。

そこで今度はキーの押し方の部分に着目をした。

楽器のキーはとある点を支点として、そこを中心にキーのつくりに延長する形でキーを押すようにしてみた。いいんだか分からないがしばらく続けてみようと思う。

結局押したり離したりが何度も繰り返されていく中で筋肉が疲れていってしまうのだから、その部分が解消するような動きがだんだんと作っていければいいのだろう…が、まあ難しい。


今日はとある学校のレッスンにて「できないことをできないままにするのやめようぜ」っていう話をした。

正直私だって出来ないことが出来ないままで悔しい気持ちになったりすることも多い。

し、あまりにもそれが続いていると出来ないことが当たり前になってしまって、ついにその悔しい気持ちまでやがてなくなってしまう。

ある程度は人間の性だとは思っているが、この部分とうまく付き合っていくことで楽器の上達というものは期待が出来るのだと思っている。

どうしてそうなってしまうのかといったら、やはりまずは「何が出来ていないのか」「何がわかっていないのか」の部分がそもそもわからない、という状態だと思う。

まずここの部分をどうにかして原因究明できるようにしたい。

そのために不調な方法としては、「問題を素因数分解する」ということに尽きると思う。

これはサクソフォーンの神様、マルセル・ミュールの言葉だ。


例えばだが、自分で1フレーズ吹いてみて、・音楽的に正しいアプローチでない感じがするのか・音色が悪いのか・音程が悪いのか・指が回っていないのか・タンギングが上手くいっていないのか・リズムが違うのか・音が違うのか・譜読みが上手くいっていないのか・楽譜の読み方がわかっていないのか 色々と考えうる要素はあると思う。

自分の知識や技術がどの段階にいるのか、ということをしっかりと把握しておくことが大切だ。

結局この手の話は「なんとなく」の要素を徹底的に排除していくしか方法はない。

なんとなく分からないけど特に何も突っ込まれないしいいや、の日々の積み重ねが、やがて大きな怪我へとつながっていくのだ。


自分で自分なりの答えをしっかりと考え、用意する。

なんの糸口も見つけることが出来なければ、人に質問する、相談してみる。

そのままの状態で持っている不安はどんどんコミュニケーションを取りにいって、解決しにいくことが建設的だし、大切なことだ。


自分が若い時に気づかなかった大切なことを今生徒たちに押し付けようとは思わないが、以前のように練習時間が無限にあるわけではない。

もちろん現代の演奏の形というのもすこしずつ変わりつつあるのかもしれない。

自分も指導者という立場を頂いた際にはしっかり緊張感を持って臨んでいきたいと思う。

私だってプロフェッショナルは確かに名乗るが、出来ないと思っていることの方が多いのだから。

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