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執筆者の写真Yuki Yoshio

拍動…

楽譜が届いてからというものの、永遠とPulseの事ばかり考えている。(ため息)

なぜ出来ないのか、ということを自己肯定感の部分と切り離して考えていかないので、この辺のところはいつになってもうまくできる気がしない。やるしかないのだが…。


サクソフォンのための楽曲で、特に現代の作品になるとマルチフォニックは悩みの種となる。

同じメーカーの楽器でもモデルが違えばツボは急に変化するし、同じモデルの楽器でも個体差が大きく発生する。さらに言えば仕掛けやセッティングの状態も反映されるので奏法そのものだけでカバーしきれない音の方がおおい、ということになる。

こうなってくると古学期のように(?)作曲した人物がモデルとして利用した楽器を使わなければ本来的な意味での再現というものは叶わなくなってしまい、こういった側面もまた、楽器そのものとしての表現力の欠陥と言わざるを得ない部分だろう。

しかしサクソフォンという楽器はそもそも誕生から現代までの時間のことを考えれば発展途上の真っ只中にいるということも間違いなく、そのような意味ではこういった問題が出てくるのも本当に致し方ない部分ではあるのかなとは考えている。

その部分を解消するためにオリジナルのマルチフォニック運指を検討するとか、吹き方そのものを作っていくとかすればいいだけ…だけ、といえばだけ、なのだが。まあちょっとは骨も折れる。正直。笑


最近パルスパルスとやかましいことこの上ないが(一般の方からしたら破滅の呪文と間違えそうだが)(最近取り組んでいる曲の名前です)、アンドラのコンクールだとか他のサックスのコンクールを色々見ていて、自分と同年代の、あるいはもうすでに自分より年下でこういう曲をほんっとに素晴らしい吹き方してる奏者っていうのが確実にいて、自分は留学もしていないし、コンクールのタイトル数もまだまだ少ない。プレイヤーとしてのキャリアというものを改めて見つめ直した時にこのような楽曲に触れることや、そしてサクソフォンの新しい可能性を示すようなレパートリーをちゃんとコンクールにバリバリ出しているプレイヤーに(敢えて短絡的な言葉を使うが)負けないように磨き続けなければならないのだ、と強く思う。




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