今日は埼玉県内にてレッスン。生徒がお土産くれた。ありがと
プロフェッショナルの人間は血の滲むような努力と研鑽の時間があって初めてプロフェッショナルとして活動しているのであって、その楽器技術の習得の難しさに関しては自身が一番知っているところだ、と私は考えている。つまり、生徒が演奏技術の習得に苦労をしていることや、それが「できない」ことに対しての不安やストレスというものは、実は生徒自身以上に知っている・あるいは感じ取れるといっても過言ではない。はずだ。
レッスンでは、対面している時に「頑張っている」姿が見えるのは当然のことだし、対面している時には常に教師は「伝え継承する工夫」を凝らし、生徒は「可能な限り多くの情報を受け取る」努力をすることが大切だと考える。
そして、当日以外の対面していない時間に、
生徒は教師に対して自らの研鑽を積んでいるだろう、演奏で活躍しているだろう、多くの困っている他の生徒の助けになっているだろうという「信頼」、
教師は生徒に対して「本心で上達したいと願い課題克服のために日々努力を積み重ねている」という「信頼」が成り立っているからレッスンというものが成り立ち、良好な結果が得られるものだと考えている。
そういう信頼が崩れない様な演奏活動をしていきたいと思うし、レッスンでも真に「寄り添う」という形は何なのか、上達に関わることを求めるのか、楽器あるいは音楽という場所に安寧を求めるのか、そう言った部分の正解と思わしき形をしっかりと探し続けられる様にしていきたいと思う。
たとえ生徒が子供の年齢であろうと、その努力や考えに対しての尊敬を失ってしまってはいけない。自分への戒めとして書き記しておく。
私だって残念ながら完璧にそれをすることは出来ない、とは思うが、しかし可能な限り自分にとっての最善の形、思想を持ってレッスンや演奏に臨めたらと思う。
まあ、何が言いたいかというと、どんな人にも悩みや苦労はあるし、誰でもいつか何かと戦っている。自分の目の前でそういうものが見えなかったとしても、それを無視したり軽視したりする人間でいないようにしたい、ということだ。
おわり。
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