指導先学校の指揮の本番だった。
特に学校部活動において、もちろん指揮者として音楽的な豊かさのある音楽を作り導くことは大切だが、それ以上に生徒にとっての重要な本番をいかにして「よい経験の場」として空気を、場所を作って行けるか、という事ばかり考えている。
そして私が生徒に言う事って、やっぱりどこか自分の心の中にも跳ね返ってきているんじゃないかな、とも自省する。それくらい現状を変えて上達していくことって、その方法や文化が当たり前でないと難しいと思うからだ。
音楽を演奏する人間は結局「出来ないの痛み」を抱えながらも堂々と振る舞うしかないのだ。
その痛みを忘れられるくらいに練習し、事前準備を充実させるしかない。
それを知らずして本番の場所を経験させてあげることはもちろん出来るが、やっぱり向こう見ずで無責任な方針なんじゃないかなと思ってしまう。
勉強をサボって生きた大人は子供の比などではないレベルでバカにされ続けるのだ。だから勉強し続けなければならない。その勉強が自分の喜びと一致すれば最善だよね、その線を上手く作ることを若いうちに見つけて欲しいなと思う。
正直自分でも生徒への教え方が変わったなと思う、まさにメチャクチャ変化している時期の最中だと思う。ある種この時期に関わっている生徒さんゴメンっていう節もあるのだが最善は尽くしているつもりだ。
子供と親みたいな関係性もきっとそうなのかも分からないが、最終的に豊かな人生を歩んでもらうために導きの手段なんて選べるほどの余裕も力も、1人の大人なんかには無いんだろうなと思う。それは別に自分を子と例えた時に親へのリスペクトが無いとかそういう事では決して無いけれども、これはいち音楽家の経験としてひとつの事に本気で取り組んでいる時に何かをケアすることなんて不可能に近い。それまで本当にこなしていたら、それはもう魔法とか奇跡のレベルだ。
まあ、そんなこんなで生徒音楽家との関わり方というのはいつでもめちゃくちゃ悩むものだ。ワイの人生、ワイ的にはメチャクチャいい人生だと思っているが、でもワイの生徒はワイよりも幸せになるんだぞ!
終わり。筋肉痛酷すぎるので寝る。
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