先週末は目黒区民センターにて「サクソフォンアンサンブル"なめら〜か"第23回定期演奏会」に賛助出演した。
代表の中野明さん(サックスブログ界のレジェンド、Thunderさんその人である)からお声がけいただき、光栄な思いと共にお受けした。
会場の目黒区民ホール。歴史のある建物で、ついに改修が入るらしい…とても良いホールだった。
コンサートは前半と後半の2部に分かれ、前半では団員のみなさまのアンサンブルを拝聴した。
みなさま、本当にお忙しい中だろうに、それぞれが持つ「よい」と思うものを音楽に反映させながら演奏に挑んでいるさまは、本当に凄まじいな、といつも思う。
私など本業で普段から吹いているから多少の不安を減らして演奏できるものの、そんな環境とは違う場所で戦っている方々の音楽は、もう、ただ「すごい」のだ。多少人より楽器が吹ける自分などが誇れるものなど、まだまだ何もないな、と改めて思う。
後半では私もお邪魔し、ラージアンサンブルのために編曲された楽曲を数曲演奏した。
今回はその全てがイギリスの作曲家によるもので、そのコンセプトも自分としてはとてもアツかったなあ…。イギリス出身の…なんていう枕詞は時代遅れかもしれないが、英国の大作曲家たちが書いた曲たちは、ほんとうに心の震える名曲ばかりだと思う。
中でもエリック・ボールの「復活」なんかは、私は一生触れない楽曲の一つであったとも思うので、このような楽曲にも挑戦されるグループとしての凄さと貴重な機会を噛み締めながら演奏した。
私は、実はテナーサクソフォンがいちばん苦手な楽器だったりする。アルトの次に買った楽器ではある…ことも手伝い(?)、周りの友人をはじめ、いろんな人にそんなわけ無いやろ!とツッコミを受けるが、自分感覚では経験の浅いバリトンサックスよりよほど苦手だと思っている。
テナー特有の楽器としてのクセ、というのもそうだし、職人気質のある立ち回りやバランス感覚というのが非常に難しい。テナーTuttiで合わせる際にも、他のサクソフォンや他の楽器とのアンサンブルでも、独自のセンスが必要な楽器である、と思っている。
下手に大きく動き過ぎればアンサンブルそのものを破壊しかねないし、ただ音を並べるだけでは全く音楽としての面白みが生まれない、そんなパートだと思っている。
そういう意味で、人間性や嗜好価値観が前面に最も出る楽器だと思う、し、それゆえに使う神経の種類の違いにいつも苦労しているのだと思う。いや、吹いていて楽しいというのは大前提だ。嫌いではない。苦手、なのだ。
演奏をお手伝いする、ということ自体が少し久しぶりだった気がするが、TSOの時の信条と同じく、大きな流れの中に混ざりつつも、音楽として大きな変化を作り出していくきっかけの一部となれていたら幸いである。し、やっぱりもっともっとテナーさらっていきたいな、と、吹く機会をいただけて改めて思った。がんばりたいなあ。
そして、私自身、この賛助を経て非常に勉強になった内容がある。
それは組織としての完成された役割分担やスムーズなマネジメント・動きが明らかに存在していることだった。いや、頑張って普通の顔をしてミーティングやブリーフィングにもお邪魔したが、それもとんでもなくすごいことだったな…と思う。驚きを隠せなかった…という表現を使いたいのが正直なところだ。
自分たちだってプロで演奏活動をしているのに、そのマネジメントや準備段階の内容に関するそれはまるで茶番のようだとすら思った。
社会の中で様々な経験をされている皆様だからこそ作り上げられる空間なのだろう、と強く思う。いや、こんなことに今更気づく自分の未熟さを恥じるほか無いのだが、職業演奏家というのは本当に傲慢な人種なのではないか、と改めて私は感じた。
そりゃまあ、自分自身や音楽家に向けた仕事なんて少なくなっていくよな、とも思うわけだ。純粋にいち音楽家の存在など頼りないほかない…。せいぜい合奏の時に他の人よりも落ちにくい(必ず落ちない)くらいの部分しか役に立たないのだから。
自分たちの弁護をするわけではないが、とはいえね、同時に演奏家としてパフォーマンスを最大圏に発揮するために、演奏だけに全てを賭ける、という姿勢も必要なのだと思う。それはこれまでの演奏家の歴史の流れを汲めば、その負の遺産を現代の音楽家は甘んじて受け入れ、その現実を見つめ続ける必要はあると思う。
そこでどうしても、演奏準備とマネジメントの器用さという部分でジレンマが生まれてしまう。それゆえ今の自分の全てを頭ごなしに否定することはやめよう、とは思うけれど、できないならできないで誠実に生きていかないとダメだなと思うし、やるならやるでちゃんと覚悟決めて動いていかないといけないな、と…。いや、そんなのがいつも完璧にできたら音楽家みたいなフラフラした職業を選ばないような気も…(そしてこの話は迷宮へ誘われる)
まあ2択からどちらかだけを選ぶようなやりかたも賢いとは言えないし、結局自分自身が納得してやっていくべきことなのだろうけれども。今回の経験はそういうところに大きな印象が残ったのだった。
また頑張ろう、人との関わりによって自分は生きながらえていると思う。
最後の写真は今の時代ではほぼ見つけられない10円ロッカーで。
なめら〜かのみなさま、ご来場くださった皆様に深くお礼申し上げたい。
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