アラーム思い通りにいかず
- Yuki Yoshio
- 8月11日
- 読了時間: 2分

これは友人と行った伊豆。
朝そこそこ早い予定だったのにギリ間に合う電車の13分前に起きた。集合時間まであと1分というところで到着するという、本当に危ない寝坊をした。30歳なのに…(ディスマーケティング)←ちょっと使い方も立場もちがうよ
ユジャ・ワンといえば世界で最も人気のあるピアニストのひとりだが、彼女がインタビューで大変印象的なことを言っていた。「さらわずに済むのなら、もちろんそのようにしたいわ」と。
ハッとさせられた。彼女ほどのピアニストとなればそこそこのプロフェッショナルの練習量ですら嘲笑の対象となりうる。どんなスケジュールの合間を縫ってさらっているのか、想像することすら出来ない次元のプレイヤーだ。私は驚いた。2つの意味で驚いた。
一つ目は、ユジャ・ワンが練習を避けられうるものなら避けたいという考えを持っていることに。
もう一つは、私が「練習を避ける」という概念がなかったということに、だ。
常々私は練習したい、しなければ、という邪念に苛まれているように思う。
自分自身のできるようになりたいことをできるようになるのだ、という原動力のようなものはいつもありつつも、日々の社会の波に揉まれていると、本当に自分がしたいことは何なのか、ということがすぐにぼやけてきてしまう。
大人になると、遠い場所に目を向けた種まきが本当に難しい。
それでも信じてやらなければならないよな、といつも思う。
効果のある練習、意味のある時間、コスト…パフォーマンス…そんな言葉ばかりに囚われているんじゃないかと、ふと練習ノートを見返していて思うのであった。。なんか哲学の波にも飲まれていそうだな…。思考整理したい。。


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